長崎は南蛮貿易の中心地。1570年に長崎がポルトガル貿易港として開港されてからというもの、ポルトガルだけでなくオランダ・中国との貿易も盛んに行われるようになりました。鎖国下にありがなら唯一諸外国との貿易を認められた長崎は、またたく間に歴史にその名を広めていったのです。
長崎貿易で輸入・輸出していた品物とは?
明治期になり鎖国が終わると、唯一の貿易港という特権は失ったものの長崎は国際都市として順調に発展してきました。長崎を歩くと、いたるところに見られる異国の香り。長い歴史の中で築き上げた独自の文化と景色は今もなお強く残されています。
カトリック教会の統計によると、長崎のカトリック人口は4.3%と、日本一カトリックの割合が多い県。その理由は、長崎におけるキリスト教の歴史にあります。
室町時代、日本最初のキリシタン大名・大村純忠によってイエズス会に寄進された長崎は、日本におけるキリスト教布教の中心地として発展しました。多くの教会やキリスト教関連施設が建てられましたが、日本統一を目指す豊臣秀吉によりキリスト教はやがて厳しい弾圧を受けるようになります。
250年もの禁教を経た後、ペリーによる開国がなされ、衰退したと思われたキリスト教は見事に復活を果たしました。長崎が誇る日本最古の教会・大浦天主堂が建てられたのもこの頃です。
長崎におけるキリスト信仰の歴史は非常に深く、今でも長崎には約130の教会が現存しています。
1945年8月9日、広島に続き長崎市松山町に落下・炸裂した原子爆弾は甚大な被害を及ぼしました。死者は長崎市の人口の3分の1にあたる7万3千人という悲劇を呼び、強烈な爆風や建物の倒壊、火災などで多くの人が重症を負いました。戦争が終わり平和が訪れた現在でも、多くの人が原爆の放射線被爆による後遺症に苦しんでいます。
長崎には魅力的な観光地がたくさんありますが、忘れてはならない歴史に触れるスポットも多数。戦争と原爆の恐ろしさを風化させないために、長崎には被爆当時の地層や残骸・熱線の跡を保存している所が多く存在します。中でも爆心地を中心に作られた平和公園、長崎原爆資料館には、一年を通して国内外から多くの観光客が訪れ、尊い平和への祈りを捧げています。
全国的に看護師が不足している日本ですが、長崎は特にその傾向が顕著です。看護師はもちろん、高齢化にともないヘルパーやケアマネージャーといった福祉の仕事もニーズが高まっています。長崎の福祉・医療求人
続きを見る
長崎は、グルメやレジャースポットで有名ですが、温泉も人気があります。火山の下にある島原半島を中心に、特におすすめの温泉はこちらです。グルメ+温泉は最高の癒しになります。長崎の温泉
続きを見る
長崎は、歴史的に大きな役割を担っていた場所でもあります。諸外国との窓口になった長崎貿易や今も色濃く残るキリスト教文化、そして戦争と原爆の歴史。長崎の歴史を知る事で、新たな長崎の魅力が見えてくるかもしれません。長崎の歴史
続きを見る